Grid and Vidar
9 - 暴露
ロキが、呼ばれもしないのに、オーディンの旧友エーギルの館にやってきたとき、酒宴のためにそこに集まっていた神々は、だれもかれもが彼に敵意をむき出しにしました。かれらは、ロキが鉄ヶ森でアンゲルボダと密通し、剣豪チュールの利き腕を噛み切った恐ろしい狼のフェンリルを彼女に生ませたことを、すでに知っていました。また、いさかいごとを調停すべき人物であったバルドゥルはすでになく、しかもそれを自分が殺してやったのだとロキが白状したので、神々はいよいよロキを許すことができなくなりました。ただ、そのとき彼の同席を許したオーディンだけが、一人々々をあげつらっては嘲りと罵りを繰り返すロキを、黙って見守っていました。
そのあとしばらく必死の逃亡劇を演じたロキでしたが、彼にはこのときすでに、すべての覚悟ができていました。そしてついに捕えられ、尖った三つの岩にすっかり縛り付けられてしまいます。
彼の頭の上には、絶えず猛毒の液が滴り落ちる仕掛けがされていました。毒液は、彼をいっぺんに殺したり気絶させることなく、延々と悶絶するように、少しずつ少しずつ滴り落ちる仕掛けになっていたのです。ロキにとってじつに不幸なことは、自由を奪われたうえに、延々と同じ苦しみが続くことで、すっかり退屈してしまうことでした。すると、誰かがそばへやってくるのが見えました。頭を動かせない彼の視界にようやく入ってきたそれは、妻のシギュンでした。
「どうした、俺を笑いに来たか、この小ざかしい小鳥め。しかし驚いたものだ、お前はこうして俺の自由をすっかり奪うために、俺の子供を生んだのだな。見てみろ。こいつはナルヴィだ。母親だからわかるだろう。このはらわたが、俺にがっちり食いついて動きやしない」。
ロキを縛り付けている頑丈な紐は、彼とシギュンの子ナルヴィを殺して、腹を割いて引きずり出したはらわたで作られていたのです。シギュンは、夫の悪態には応じず、黙って、木の器を両手で持って彼の頭の上へかざしました。毒液は器の中に落ちました。シギュンは、猛毒の仕掛けから夫を守るためにやってきたのです。
するとそこへもう一人が現れました。それを見てシギュンは器を下げようとしましたが、その人は
「そのままでかまわない」
と彼女に言いました。その声は、オーディンの声でした。それを聞いたロキは、また憎憎しい声でシギュンに言いました。
「おいシギュン。お前をこんな惨めな目に遭わせた張本人がやってきたぜ。もとはといえば、お前がやつの指図を受けて俺をたぶらかしに来なかったら、お前は俺なんかの妻になって、ほかのものから後ろ指をさされ、可愛い息子を無残に殺されることもなかったんだ。お前はいったい、やつを憎いとは思わないのか」。
シギュンは黙っていました。けれどもロキは黙りませんでした。
「そもそもがだ、ここに立っている張本人が、あの洞穴で、ひと思いに俺をひねりつぶして殺していれば、何も起こらず、何も変わらず、みんな幸せに暮らしていられたんだ。おいオーディン、おまえはなぜあのとき、俺を殺さなかったというんだ?」。
ロキが聞きました。するとオーディンは、
「いまお前が喋ったことが、その答えだよ。ロキ」
と答えました。
「そうか。おまえは俺を悪神にして、みんなを不幸せにするために、俺を生かしておいたというんだな」。
「その通りだよ、ロキ。お前の名は、並ぶもののない悪神として、長く語り継がれるだろう」。
「だまれ、悪神はお前だ、オーディン!」。
ロキは、弱った体で精一杯の大声を出しました。鉄のように堅い紐が、彼の体に食い込みました。
「お前は馴染み深い故郷を捨て、新しい魔術と新しい住処を選んだのだ。それがお前の望みで、お前はいつも以前と違うもの、新しいもの、知らないものに出会わないことには、生きていけなかった。その望みをかなえてやれるものが、わたしのほかにいるものか。わたしはお前にそれを与えたのだ。つねに目新しい世界を──世界はつねにわたしとともにあった。わたしはオーディンだ。世界を動かし、破滅を引き寄せるもの、それがわたしだ」。
「だまれ! 俺は俺だぞ。いっさい自分の好きなように生きてきたんだ。お前が俺の望みをかなえたためしなどなかった。お前はいつでも俺を裏切った」。
「思うとおりに動く世界の退屈さ、それはお前にとって絶望だ。お前は知らないかもしれない。しかしわたしは知っていた」。
「だまれ、だまれ! 俺はもうだまされないぞ。お前の挑発にも乗らないし、お前の嘘などみんなお見通しだ!」。
オーディンは、今度は何も答えず、かわりに、彼独特の低い歌声のような調子でもって、呪文を唱え始めました。それは束縛からの解放のための呪文でした。ロキを縛り付けていたがんじがらめの堅い紐はこれを受けて、まるで生き物のように、上から下へするするとほどけていきました。ロキは自由の身となり、ふらふらしながら立ち上がりました。
「裏切り者のオーディンめ。お前はまたしても同胞を裏切るのだな」。
ロキが、とても低い、恐ろしい声で言いました。
「いいだろう。今度俺がここへ来るとき、お前の世界は塵も残さず崩れ去るだろう!」。
彼はそういい捨てて、弱々しい足取りで、遠くを目指して逃げていきました。シギュンは器を地面に放り出して泣き崩れました。オーディンは、一部始終を見届けながら、満足そうに黙っていました。