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11 - ヴィーダルとヴァーリ

冥界から戻ってきた光の神バルドゥルは、罪を背負う人々に愛を説いて彼らを苦しみから解放しました。しかしごくわずかな人々は、沈黙の神ヴィーダルの姿の中に、世界のすべての謎とすべての答えを見つけることができたのです。そして彼らもまた、それを言葉にはしませんでした。

バルドゥルを一度冥界に追いやったホズを殺したヴァーリという神もまた、この新しい世界の神の一人でした。もはや彼ら三人の間にはなんらの恩讐も無く、神々の風の館で仲良く暮らしていました。

新しい人の子らの中でもとくに神々に覚のめでたい者たちは、輝く黄金の館に暮らしていました。ヴァーリは時折そこへ出かけていきました。この子供のような神様は、人の子の純粋な好奇心に触れるのが大好きでした。あるときかれは、仲のよい一人の人間から、兄のヴィーダルについて尋ねられました。

「兄は、なぜかこのわたしにだけ、ぽつりぽつりと言葉を吐くことがある」。気のいいヴァーリは快く答えました。

「彼はいつも平然としていて、感情を見せることも無い。兄とヘーニルはとてもよい関係にある。互いがとても尊敬しあっていることはわたしにもわかる。そして彼らはすこし似通っているんだ。オーディンやトールが嵐の荒れ狂う海だとしたら、彼らは鏡のように静まり返った湖のようだ。わたしは世界を見渡して、つくづくこれは彼らの世界なのだと思い至ることがある。オーディンは好んで嵐を起こし、トールは喜び勇んでそのただ中へ飛び込んでいったものだ。ところが──いまの世界を見てごらん。波風を立てて力を使おうとするものはいない。力というものが消えてしまったからだ。それはオーディンと一緒に跡形もなく消えてしまったんだ」。

「それで、兄がわたしに何を言ったのかというと、『復讐はもう終わった』。と言ったのだ。それもまた消えてなくなったと。兄は父の、わたしは兄の復讐のために生まれてきた身だ。それが果たされるまで、わたしと兄は、体も魂もただそれだけのために捧げて生きた。だが兄の言うには、それはむしろ運が良かったのだ、というのだ」。

ヴァーリのみるところ、彼の兄は、「力の根源は幻と偽りである」と主張しているようにみえるのでした。罪という幻、断罪すなわち復讐という偽り。それらに惑わされるとき、人は本来の運命に逆らって力を使おうとする。かくして戦いが生まれ、新たな罪と復讐を呼ぶ。この巡りから逸脱しない限り、幻と偽りは、いつまででも人の心を離さない。

「『大事なことはあまり多くはない』。と兄は言った。それは、幻を幻と、偽りを偽りと看破することだ。そうすれば自ずと真実はやって来る。戦士の父の子ヴィーダルは、それを善悪で断じようとはしない。彼によれば、善悪ですらすでに幻なのだ」。

「『かつてすべての生き物は、罪人であるか、さもなくば復讐者であるか、そのどちらかでしかなかった。彼らの使命は、罪を認めて責めを負うか、復讐者としてそれを負わせるか、そのどちらかでしかなかった。これは輪廻なのだ。わたしが父の死後かれの復讐を引き継いだように。そしてこの輪廻を止められるのは、己が罪人であることを知り、また復讐者であることを知る者のみだ。気づかなければ運命に埋没してしまい、輪廻は続くだろう。わたしの父は、すべてを木っ端微塵に打ち砕いて死んでいった。それは輪廻を絶ち切るためでもある。わたしは復讐者として生まれ、またそれを無に帰すことを宿命づけられた。ヴァーリ、おまえがバルドゥルやホズとの恩讐から解き放たれたように、われわれの世界であるここにはもう、それらは存在しない。ここには幻や偽りの居場所はない。──真実とは、鏡のごとく沈黙した水面のようなものだ。それはすべてをありのまま映し、またあらゆるものを隠してはおかない。罪も復讐も、それらの萌芽となる悪も正義も、一瞬だけ水面に現れるさざ波にすぎない。われわれの世界には、そのさざ波にとらわれて真の姿を見失う者はもはや存在しない』」。

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