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Grid and Vidar

7 - オーディンとヴィーダル

強い風の吹く寒空の草原を、旅人の姿をしたロキが一人で歩いていました。旅に出るときはオーディンが一緒だったのですが、いつの間にか姿が見えなくなりました。ひどく空腹になってきて、

「そういえば、やつはいつどこで消えたのだ?」

と思い出し、いったん引き返して彼を探してみることにしました。

森に入っていくと、一人の狩人が獲物を一匹担いで家路を急いでいるのに出くわしました。ロキは喜び勇んで声をかけ、自分はひどくひもじい思いをしているので、家に連れて行ってその獲物を少し分けてもらいたいと彼に言いました。屈強な狩人は、

「それならこれをやろう」

と言って、腰に提げた毛皮の袋の中から、干肉を一切れよこしました。

「これではとても足りない。俺には連れもいるのだ、そいつのぶんも分けてもらわないと」。

とロキは不満を言いました。

「連れはどこにいるのかね」。

「疲れきって向こうで寝ているのだ」。

「一人で病人を放っておくのは感心しないな。ここには、ハガネ色の毛並みをした『グリードの狼』という恐ろしい狼が出る。こいつはただの狼ではない、知恵があり、人を襲って食らうかわりに、人をだまして財宝を掠め取っていく妖怪だ」。

「へえ、そんなのがいるのか」。

ロキは狼の話を聞いて目を輝かせました。男はさらに言いました。

「狼は、集めた財宝を小さな麻袋に詰めてくわえて運ぶことがあるという。こいつは魔法の袋で、形は小さいのに、中には山のような財宝が入っているという話だ。そのときやつは、必ずあの草原を横切る」。

男がそこまで言うと、ロキは礼も言わずに駆け出していきました。

ロキは急いで草原まで戻ってきました。干肉が腹の中で膨れたのか、空腹はすっかりおさまっていました。それからオーディンのこともすっかり忘れていた彼は、広大な草原を見渡して、隼に姿を変えると、狼を探すために上空高く舞い上がりました。鋭い目は、すぐにハガネ色の大きな狼を見つけ出しました。見れば口には小さな麻袋をくわえています。隼ロキは小躍りして、狼をめがけて急降下していきました。しかし狼は用心深く、隼がやってくるのと同時に顎をすばやく引いたので、袋を奪うことができませんでした。上空で一度旋回した隼が、再び狼をめがけて襲いかかろうと狙いを定めると、その口にはもう袋がありませんでした。そのとき隼の目の前を、大きな風切り音をたてて黒い影がかすめていきました。影が飛び去った方向を見ると、それは大きな黒い鷲で、嘴にはあの袋が引っかかっていました。

「ちくしょう、それは俺のお宝だぞ!」。

隼ロキは慌ててこの鷲を追いかけましたが、にわかに腹のあたりが重くなって失速し、黒い鷲を見失ってしまいました。

狼が、たいそうしょんぼりして草原をさまよっていると、大きな岩の上に、黒い旅装束の男が腰掛けてこちらを見ているのを見つけました。狼が前を通りかかると、長い髭を生やしたその男は言いました。

「おまえは家に戻るのだ、グリードの狼よ。そしておまえを待っている主人に伝えて欲しい。黒い鷲は、今度こそ彼の獲物を手にしたのだと」。

狼はそこで気を取り直し、家へ戻って主人に話をしました。

「隼は何とか躱したが、間髪入れずにやってきた黒い鷲からは逃れられなかった。あんたの大切な届け物を失くしてしまって、どう償っていいのやら途方に暮れている」。

彼の主人グリードは、怒ることも驚くこともなく、狼を丁重に労ったうえで、こう言いました。

「心配することはありません。あなたは役目をじゅうぶんに果たしてくれました」。

グリードの名もない息子が、沈黙の森に住むようになってから、たいそうな歳月が経っていました。子供だった彼はそれでも青年の体つきになった程度で、ようやく馬の鐙に足の先が届くようになっていました。沈黙が形になったこの森の神は、あらゆるものが沈黙を守るこの地の誓約の証として、ただそこに座っているのでした。

ところがあるとき、彼のもとに人間が一人訪ねてくるのです。それはこの地の誓約を破る事態であり、沈黙の森を覆う静寂と恐怖を克服して、彼が座っている草原までたどり着ける者はこの世界に一人としていないはずでした。頚を下げていた彼の馬が頭をもたげて、その男を見やりました。そのあと、彼も訪問者に顔を向けました。それはカラスの羽の色のようなマントを着て、大きな帽子と長い髪でもって顔の半分まで隠した背の高い老人でした。

「わたしは今日、おまえの母親の使いでやってきたのだよ」。

老人が言いました。そして懐から、小さな麻袋を取り出して、中をあけました。そこには、くたびれた革靴が一足入っているだけでした。

「この靴は、おまえの母親が、捨てられた余り革を集めて作ったのだ。このくたびれた靴をおまえが履けば、靴底は鋼鉄と化して、最後の怪物の顎を粉々に叩き割るだろう。そのとき世界は焼け落ち、逃れようのない漆黒の沈黙がやってくる。それは次の新たな世界を呼ぶ架け橋なのだ。けれども、この深く厳しい沈黙に耐えられるものはおまえをおいて他にいない。そのときわたしの体は、もう跡形もなく消えているのだから」。

彼はひとことの質問もせず、また顔色を変えることもなく、低くしわがれた、歌の旋律のような老人の話に耳を傾けていました。

「おまえは、世界のすべての謎とすべての答えを知る唯一の神だ。しかし決してそれを語りはしない。なぜならそれは沈黙の中にしかないのだから。おまえをこの世界に呼び入れたのはこのわたしだ。わたしのほかにおまえの正体がわかるものは存在しない。突き止める知恵を持つものがいたとしても、その意味を見出すことはできない。見出したら最後、誰もがおまえを生かしてはおかないだろう。わたしはおまえを守らねばならなかった。だからこんなところにおまえを隠した」。

「最後の最後に、わたしはこの世界の形あるものすべてを破壊するだろう。それは、ただおまえのためだけにすることなのだ。おまえをこの沈黙の森から引きずり出し、おまえを必要とする世界をおまえが呼ぶために。それまでは、このわたしが必要になるだろう。世界は、そのとき必要なものをそのつど求める。ただそれだけのことだから」。

「グリードがおまえに名前をつけなかったのは実に賢明なことだった。けれどもわたしは今日ここで、おまえに名前を与える。お前にはよくわかっているだろう、命名とは運命の力を与えることであり、強力な束縛を意味するものであることを。──ヴィーダルよ、おまえの運命はいま定められた。おまえは邪悪なものを二つに引き裂くために生まれたのだ。すなわち、この父の復讐のために」。

息子のもとを去り際、老人の姿のオーディンはこう言い残しました。

「わたしはいずれ再びここへ戻ってくるだろう。われわれの約束が果たされるのはそのときだ」。

ヴィーダルは黙って、頷きもせず、闇の奥へ消えて行く彼の背中を見つめていました。

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