Grid and Vidar
8 - グリードとトール
そのころグリードはもうすっかり年老いて、相変わらず一人で暮らしていました。けれども彼女のそばには、一匹の年老いた狼がいつも寄り添っていました。狼にはもう群れを引き連れて森を駆け回る若さはありませんでしたが、家の戸口に寝そべって警戒を怠らず、主人グリードに困りごとがあればなんであれ解決してやりました。
「おまえさんは偉いものだねグリード。最愛の息子と遠く離れても、愚痴ひとつ言わないのだから」。
ハガネ色の狼は、自分が戦士だったころ、故郷に置いてきた妻のことばかり考えていたこと、戦死したあと神々の前に引き出され、オーディンの戦死者の館へ連れて行かれそうになり、これを拒んだため狼にされてしまった身の上を話して聞かせました。
「わたしはどうしても妻のもとへ帰りたかったのだ」。
そして死を前にした今、彼は静かに自分の人生を回想し、あの時オーディンは自分を狼にしたけれども、それは結局自分をグリードのもとへ遣わすためだったのだ、と思い至りました。
狼が見張り番をする上に、森のすべてのもの、見えるものと見えないものたちは、なにか異変があるとすぐにグリードに知らせに来ました。強力な魔術を使う賢者グリードは、人には決して自分の正体を明かしませんでしたが、言葉を話さないものたちには、彼女の偉大さがよくわかっていました。
ある日一陣の東風が、グリードに報告にやってきました。
「堅牢な城に住む悪辣なゲルリヨド王のもとに一羽の隼がとらわれている。王はこの隼を脅しつけて、ついに念願のトール殺害に及ぼうとしている」。
この話を聞いたグリードは、すぐに狼に言いました。
「隼というのはアースの火の神ロキのことです。トールは彼に言われるまま、槌や帯や手袋を持たずに王の城へ向かうでしょう。彼を丸腰のまま城へ入れるわけには行きません。あなた、トールがやってきたら、捕まえて、ここへ連れてきてもらえないかしら」。
狼は自信たっぷりに答えました。
「お安い御用だ」。
お人よしで勇敢なトールは、ゲルリヨド王に脅しつけられたロキから、
「おまえさんは一人で、しかも武器を持たずに行かねばならない。王は正しくて優しいお方だ。おまえさんが約束を破って武器を持ち込めば、それは我々神々全員の恥であり、のちのち禍根となろう」。
などといわれ、すっかり信じて何も持たずにやって来たものです。グリードの狼は、群れの若い狼を引き連れて彼の前に出ると、恭しく述べました。
「ミッドガルドの守護神トールよ。このわたしを覚えておいでだろうか」。
トールは、不思議そうに狼の顔を見つめました。
「うむ。思い出したぞ。おまえは一度も背中を見せず勇敢に戦死したため、ヴァルの父の覚えもめでたかったにもかかわらず、妻のためといって獣になることを選んだ男だ」。
「わたしはおかげで、妻を救うことができたのだよ。このまま狼の姿で死ぬことは、いまのわたしにとってこの上ない幸せなのだ。ついてはトール神よ、ここであなたに恩返しをさせて欲しい」。
「それはありがたいが、俺は急ぎの用事の途中なのだ」。
「わたしの主人の家に寄って、彼女の贈り物を受け取ってもらえたらいいのだ。それはあなたが目的地へ向かう道すがらにある」。
こうして狼は、トールをグリードのもとへ連れてきました。わびしい家のたたずまいを見て、トールはこのもの静かな老婆が、強力な魔術を使う賢者だなどとは思い及びませんでした。グリードは彼にお礼を言った後、くたびれた紐を一本、くたびれた薄い手袋を一組、それに細長いナナカマドの枝切れを渡しました。
「これはあなたの力帯の代わり。こちらはあなたの鉄の手袋の代わり。この木の枝は、旅の途中で入用になるでしょう」。
トールはグリードの言うことをまともに信じませんでしたが、三つの品物を丁重に受け取って、出かけていきました。狼が、彼について行こうとすると、グリードがこれを引き止めました。
「あなたはここに残りなさい。トールの護衛は、若い連中に任せておきなさい」。
狼は、名残惜しそうに、グリードのもとへ戻ってきました。
「彼はわたしのことを覚えていてくれた。この裏切り者のわたしを。その上わたしに敬意を払って、わたしの願いを聞き入れてくれたのだ」。
「あなたが裏切り者でないことは、オーディンにもわかっているのですよ。そうでなければ、ヴィーダルとあなたの妻を引き合わせたりしなかったでしょう」。
グリードがそういうと、年老いた狼は泣き崩れました。
「わたしは心配なのだ。果たして彼が無事で帰ってくるかどうか、あなたにはそれがわかるんだね、グリード。どうかわたしに教えてもらえないだろうか」。
「ええ、わかりますとも」。
グリードは静かに言いました。
「彼はゲルリヨドの城では死なないわ。彼の死に場所は、もっと別の場所だから。そこで彼は、最後の大物を仕留めることになっているのです」。