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死神王と死神

6 - 花の舘

無口な衛兵が、あるときひどくがっかりして少年のもとへやってきた。聞けば、大事な腕輪をどこかへ失くしてしまって、途方に暮れているのだという。少年は、たった一人の友の窮地を救ってやれるのは自分しかいないと請合った。

「よく思い出してみるがいいぜ。たとえば、正体がないほど酔っ払って、ふらふらと出歩いたことはなかったかね」。

少年に聞かれた衛兵は、目を見開いて顔を上げ、

「そうだ。確かにそんなことがあった」。と彼に言った。

その夜かれは、花のような美しい女に出会い、夢のように美しい場所でさんざん酒を飲み、彼女と一夜を過ごしたが、朝になるとなぜか森で一人で寝ていたのだという。

「腕輪がないことに気がついたのは、それからのことなのだな」。

「うむ。黒髪よ、困ったことに、あれがないことには、俺は戦場へ出て行く気がしないのだ」。

「なぁ、灰色熊の子よ。じつは俺には、思い当たる場所がひとつあるのだ」。

「それはいったいどこだ?」。

「花の舘だ」。

少年の答えに、衛兵は顔を曇らせた。

「それは残念だ。俺も剣士も、誰であれ舘へ入ることは許されていないのだ」。

それがどこにあって、何のために作られたのか、衛兵は何も知らなかった。

「あれはな、王がお気に入りの詩人や絵描きのための舘なのだ。王は、宝石を愛でるように連中を扱っている」。

そこで少年は、衛兵が舘へ潜り込む策を授けてやることにした。

「お前さんが女の服を着て行けばいい。な、名案だろう」。

「ばかを言うな。俺をからかうと承知しないぞ」。

「だって、それ以外に手はないぜ。それとも、腕輪を取り戻したくないのかい」。

さんざん渋った挙句、ついに衛兵は、彼の策に乗ることに決めた。

「なんということだ、黒髪よ」。

花の色のドレスを着て、正体を隠すための長いヴェールを被った衛兵は、頭を抱えてしまった。

「俺のこんな姿を、俺を知ったものたちに見られたら、俺はもう生きてはおられんぞ」。

少年は嘆く彼をなだめて、

「だから言ったろう。口を閉じて、その丸太ん棒のような腕や脚を隠して、足音を立てないように歩いていればいいのだ」。

と指図した。

「俺は果たして館へ入れるのかね」。

「お前さんのお供を俺が連れて来るから、安心するがいい」。

それは誰かと衛兵が訊くと、

「町外れに住んでいる詩人だ」。

と少年は答えた。

「王がご執心の、当代一の詩人だぜ。こいつを連れて行けば、お供が誰であろうと、扉は開くに決まっているのさ」。

衛兵は、寝床のほかには何もない詩人の住処へ訪ねていって、一言一句少年に言われたとおりに掻き口説いた。その甲斐あって、詩人は彼のために花の舘へ向かうことを承諾した。

「詩人さんよ、どうかこの大女のそばを離れずにいてやってくれ。ああ見えても、とても怖がりなんだ」。

少年が詩人にこう耳打ちしていると、ヴェールの下から衛兵が

「何を話していやがるんだ」。

と口出しした。

「ああ、お嬢さん。舘へ近づいたら、くれぐれも、その恐ろしいうなり声を出さずにおいておくれよ」。

少年が忠告してやると、衛兵は、

「腕輪さえこの手にあれば、お前の指図なぞ聞かずに済んだものを」。

と悔しそうに答えた。

昼なお暗い森の迷路を抜けて、かれらはようやく舘の扉の前までやってきた。番人は、王が待ちわびている詩人がやってきたので、喜んで扉を開けた。ところが、「先に様子を見に行く」と言って一人で行った少年が、いっこうに戻ってこない。痺れを切らした衛兵は、詩人を連れて扉の中へ入ることにした。巨体の女はひどく目立ったけれども、のんびりした住人たちはだれも気に留めなかった。しばらく舘の様子を見てまわった彼は、腕輪を失くした夜に自分が連れてこられたのは確かにここだと思い至った。春のような光にあふれた舘の中は、壁や床が隙間なく花で飾られ、柔らかな芳香と、穏やかな歌、楽しげな笑い声が絶えなかった。

窮屈な足取りで、ヴェールが落ちないようにしじゅう押さえながら、わずかな記憶をたどり、彼は見覚えのある場所までやってきた。きらきらした絹の幕に幾重にもさえぎられた通路の向こうへ、そこからはもう大股で、かまわずに音を立てて歩いていき、最後の幕を引きちぎるように払い落とした。するとそこに待っていたのは、白い法衣姿の王と、傍らで酒器を手にしている美しい黒髪の女だった。

「よくぞ参られた、あなたをずっと待っていたのだよ」。

わたしは、突然現われた侵入者に向かって平然と呼びかけた。詩人は、まったく動じる様子もなく、

「なるほど、これが私の運命なのだな。それであれば、受け入れるほかあるまい」。

と言った。それからわたしは、あわててヴェールを被りなおしている巨体の女にも、言葉をかけた。

「お前さんにも、褒美を取らせよう」。

そのとき、傍らの美しい女が立ち上がり、彼女のところまで歩いていって、目の前に何やら差し出した。

「おお、こいつは俺の腕輪だ!」。

思わず衛兵は声を上げた。それを聞いて、腕輪を持ってきた女が顔を上げて、

「今度はしっかり腕にはめておくことね。あなたが戦場に出られないなんて、王にとってこれほどの悲劇はないのですから」。

と言った。衛兵が彼女を見ると、それは彼が腕輪を失くした夜を一緒に過ごした女だった。彼女をまじまじと見つめたあげく、彼は腰を抜かしてへたり込んだ。

「なんということだ。お前は、黒髪ではないか!」。

詩人はこうして花の舘の住人となり、もう二度と外へ出ることはなかった。誰であれ、舘の住人が外へ出て行くことも、また兵士たちをはじめ外の人間が館へ入ることも、わたしは決して許さなかった。けれども、彼の名声は、彼の姿が見えなくなったこのとき以来、不朽不滅のものとなったのである。

「お前を自分のものにしてしまったわたしを、恨んではいないだろうか」。

あるときわたしは詩人に訊いた。彼はかぶりを振って、こう答えた。

「人々の口の端にのぼる私はすでに私ではない。それはただの名前であり、言葉であり、旋律だ。同じように、あなたもまた、私を自分のものにすることは出来ない。あなたが私を、あるいはだれかが私の名前をどう扱おうと、本当の私はあなたの見ている私ではないし、そこにはもともと名前などないのだから」。

「天晴れな詩人よ、お前の言うとおりだ。人々はお前を見ようとしない。お前が彼らの目の前にいるかぎり、お前が途方もない名声に預かることはかなわなかった。彼らが喜んで見るもの、それは名前であり、言葉であり、噂なのだ」。

「聡明な王よ、あなたのおっしゃる通りだ。彼らは、見えないものにこそ強大な力があることを知らない。われわれは、それと知らぬまま、形という形もなしに、それを顕す。そのときわれわれは、彼らの導き手となるのだ──あなたに替わって。これこそが、死神をも恐れぬあなたがもっとも恐れていることで、ゆえに、われわれを彼らから引き離して隠す」。

「真の導き手は、迷い子を二度と迷わせることがない。偽りの導き手は、彼らを導くために、彼らを迷わせる。何度でも、際限なく」。

「導きを求める者は、迷いを欲している自分を省みないものだ。かれらの目の前に導き手が居るかぎり、自分もまた導き手であることに気づくはずもない。だがあなたは、そこまで見えていてなお、ご自分の迷いを手放そうとはなさらないのか」。

詩人の問いかけに、わたしは初めて目を背けて、独白のように答えた。

「かつてわたしはそれを拒んだのだ。一度ならず二度までも・・・わたしは自らの手でそれを成し遂げねばならないことを知っている。それ以外にもはや道はないのだから・・・そのとき、すべてのものは解放されるだろう。囚われ人のくびきが外されるとき、彼らはおのずと自分の帰るべき場所を思い出す。すべての導き手が消えるとき、すべての迷い子もまた消え失せる」。

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