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死神王と死神

5 - 誘惑者

わたしは少年の目の前に、小さな短剣を差し出して言った。

「どんな時でも、必ずこの剣を腰に提げておきなさい。これはおまえが、我らが同胞となった契約の証であり、おまえの最期の時まで、あらゆる危機から守ってくれるだろう」。

彼は剣を受け取ると、まず鞘を抜き、食い入るように見つめていた。それは精悍な力強い形の短剣で、刀身は青い光を放っていた。

利口で言葉巧みな彼は、その話術でいくらでも自分を魅力的に見せることが出来たので、たちまち人気者になったけれども、目を引くほど美しい姿をも持ち合わせた若い男は、ことに女たちを強く魅了したのだった。少年もまた、彼女たちの求めに応ずるのに躊躇がなかったので、その奔放な振舞いは、ときにある人々の約束ごとを踏みにじる結果を呼び込んだ。そんな時でも、少年は得意の話術を繰り出して、自身への非難や攻撃を難なくかわすことが出来た。

わたしは少年を供に連れて出歩くのが常になった。そのさまを見た王妃の父によれば、我々は本当の親子のように見えたという。彼の言うとおり、わたしのまわりには、命令に従う部下なら数え切れないほどいたけれども、少年ほど的確に意を汲んでくれる相手は一人もいなかった。かくして磐石の信頼を得た彼は、戦場でもわたしの傍につき従い、伝令や偵察、ときに密命に奔走しながら、やがて戦術の補佐としてなくてはならない存在になっていった。わたしがあることを考えているとき、たいていは彼も同じことを考えていた。このうえない後ろ盾を得て、自信に満ちあふれた彼はいまや堂々と、ますます奔放に振舞うようになっていたが、それでも唯一の拠り所はわたしのほかに誰もなく、人知れずつねにそれを失う不安に晒され続けていた。

彼はわたしの衛兵とはうまくやっていたけれども、彼と同じようにつねにわたしの傍にいる剣士とは折り合いが悪かった。会議の場において少年は常連だったが、その主役はいつでも剣士であり、しかもわたしがこの替えのきかない名参謀に敬愛の意を隠さなかったので、いつか彼のために自分がお払い箱になるのではないかと疑っていたのだ。王になる前からわたしを知っている剣士には、そのような疑いなど沸きようがなく、少年の嫉妬が自分に向けられていることにもまったく気に留めなかった。それでも、やはり両者の対立が決定的になるのは避けられなかった。

ある日、少年が打ちひしがれてわたしのところへやってきた。そこは瞑想のために、あらゆるものに香が焚き染めてある窓の無い小部屋で、わたしのほかに入ることが許されているのは少年だけだった。その彼が切々と言うのには、とある女性への恋慕のためにたいそう心苦しい思いをしているのだという。

「彼女はどうしても私を受け入れてくれないのです。ほかの誰にもこんなに恋焦がれたことはないのに。受け入れられないことがこんなに苦しいなんて、今まで知らずに来たというのに」。

涙を流しながら彼が言った。わたしは答えた。

「どうしても彼女の愛が欲しいなら、わたしの言うとおりにするといい。まず、彼女に会いに行くのは新月の夜と決めることだ。それから、この香を焚き染めた外套を着ていきなさい。最後に、彼女を見るときは、片目を閉じていなくてはならない」。

少年はわたしに言われたとおりのことを、寸分たがわずやってのけた。そして、彼の思いは遂げられたのだ。彼はまったく不思議にも思わず、ただわたしへの依頼心をさらに募らせた。けれどもある夜のこと、大事な言いつけを一つだけ忘れてしまう。彼は彼女を見るために、初めて両目を開けたのだ。するとどうだろう、彼女は途端に彼を拒絶し、ひどく錯乱しながら、闇にまぎれて姿を消した。

剣士の妻が少年と密通していたことが知れたのは、その翌朝のことだった。少年の味方になる者はだれもいなかった。弁解の場を失った彼は、彼女をさらって故郷へ逃げ帰った。すると側近たちは口々に言い合った。

「かねて思っていたとおり、減らず口の誘惑者が逃げ帰っただけのことだ」。

「裏切り者が二人そろって消えたのだから、こんなに喜ばしいことはない」。

まもなく、北の大陸から使者が遣され、人質を取り戻したくば王の首を差し出せという。二人は捕われてしまったのだ。これに対しても多くの者は、つとめて取り合わないよう進言したが、わたしはいっさい耳を貸さなかった。

「わたしにとっては二人ともなくてはならない人間だ」。

少年は、烈風の吹きすさぶ崖の上に縛り付けられ、剣士の妻は、二人を捕えた男の家に閉じ込められていた。わたしが訪ねて行くと、毛皮の帽子を被った大男が大喜びして迎え入れた。

「どうだ、誰もが欲しがって、誰もが取れなかった王の首を、ついにこの俺様が取ったんだぞ!」。

その彼へわたしは言った。

「わたしの首を刎ねる前に、確かめておいたほうがいいぞ。王が変装の名手であることはおまえさんもよく知っているだろう」。

すると彼はうなずいて、

「それでは、王の証を寄越すがいい」。

と言った。

「王の証は目には見えないのだ。よいか、それは知恵だ。わたしの知恵を試してみるがいい。おまえさんに、それに見合うだけの知恵があればの話だが」。

「もちろんだ。もしおまえと謎をかけあって、挙句に負けたなら、王の首はあきらめて、人質も返してやろう」。

それからわたしは、彼と夜通し問答をやった。互いに答えられない謎がないままついに夜が明けたとき、わたしは「これが最後だ」と言って、壁にかけられた小さな短剣を指差した。男が少年から奪った、わたしが彼に最初に与えた短剣だった。

「王が死ぬとき、その心臓にはあの剣が突きたてられるだろう。では突きたてるのはいったい誰か?」。

すると男は、短剣を手に取って言った。

「聞くまでもないぞ。それはこの俺様だ!」。

ところが、小さな短剣の鞘は、彼の怪力でも決して抜けなかった。顔を真っ赤にしている男へわたしは言った。

「その剣には呪いがかけられている。持ち主でなければ決して鞘から抜くことができない呪いだ。お分かりか? おまえはわたしに負けたのだよ」。

こうしてわたしは、少年と剣士の妻を奪還して島へ帰ってきた。少年は、自分の首をかけてまで彼を取り返しに行ったわたしに、よりいっそう頼り切るようになったけれども、彼の孤立はそれからますます深まっていったのである。

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