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うわー。お馬さんがばらばらに切り刻まれてしまいました! 
でも心配しないでください。これは便宜上ばらばらになっているだけです。

たとえばひとくちに「馬を描く」というとき、 「顔だけなら簡単そう」とか、「人が乗っていると面倒」とか 思うかもしれません。つまり、「顔だけ」なら「体は描かなくていい」ので簡単、 逆に「人が乗っている」と「馬のほかにも人を描かなきゃいけない」ので面倒、 とか思うわけです(思わない人も当然いるでしょう;)。 


その理屈でいけば、たとえ馬の全身であろうと、これを小さなパーツに分割し、 ひとつずつ描いていけば、いきなり全身に取り組むよりは、 心構えからしてかなり楽ではないか・・・?  ということを提案させてもらってるのです。 

上図1では頭から順に番号を振りましたが、 まず1番を片付け、それが終わったら2番、それから3番・・・ と区切りをつけながら描いていきます (実際にはくっつけて描くわけですよ;;)。 1番を描いているときは、2番や3番のことを心配する必要はありません。 利息の心配も要りません(←なんじゃそりゃ)。

図1

馬に限らず、わりと複雑なものを描くときに、 この方法は採られているようです。 先々を不安がって本来の能力が出なくなるという 人間の特性をフォローしてくれる、すばらしい方法だと思います (そんなへたれな人間ばかりでもないでしょうが;)。 


さて、この分割法では、そういう精神を落ち着かせる(頭の中を整理する)役割のほかに、 「線の流れを把握する」という作業も同時に行うことができます (分割せずともできることはできますが、 まぁより分かりやすくなる、という程度です)。 

図2をごらんください。図1と同じ切り刻まれたお馬さんが居ます。 しかし今度は、あちこちに青い矢印→が書き込んでありますね。 これが、「線の流れ」です。 拡大したものをごらんください↓ 

図2

モノのアウトラインには、 長短さまざまな直線、ゆるやかな曲線ときゅうくつな曲線、 そしてそれらが組み合わさったそのときどきごとの角度が、 いくつも見つけられます。 多くの場合それらは「そういう形」として、セットで認識されます。 そして多くの場合、絵として再現するときには、 やはりセットで再現しようとするのです。 簡単に言いますと、「ぜんぶいっぺんに描こうとする」のです。 


しかし、これにも分割法を用いることができます。 セットになっているアウトラインを、 独立した直線や曲線にばらして処理していけばいいのです。 

もう少しシンプルな例で見てみましょう。 カップのような単純なモノも、 線をひとつひとつばらしてみると、 さまざまな線があることが分かります。たとえば、


1) 側面を形づくる長短の直線、
2) 飲み口と底面の大きな曲線、
3) 取っ手の上部の小さなアーチ・・・、


というように、 これらの線をひとつずつ処理していけば、 「ぜんぶいっぺんに」処理するよりも楽なはずです。

あるモノをまた別の角度から見たときに気づくことですが、 「ある角度」や「ある形」を作っている複数の線は、みんなそこで終わっているわけではありません。 たまたま隠れているだけ、という場合が多いと思います。 


たとえ隠れていなくても、 線は虚空へと続いているのです(そう考えた方が絵を描くときはうまくいきます)。これが「流れ」です。 線を分割し、さらに虚空へ続くそれらの流れを描いてみてください。 ようするに、じゃんじゃん余計な線を引いてみるのです。 上図の矢印の大群は、「虚空の線の大群」だと思ってください。 (仕上げでは消してくださいね!) 

ここは、「頸(くび)」と「肩」の接合部分です。 右上から左下へ流れている矢印←は、 頸(たてがみが生えているところ)の線の流れを示しています。 また、左下から右上の矢印→は、き甲(頸が終わる地点の凸部)の頸側の 流れを示しています。

拡大図1

こちらは、頭部と首の接合部分です。 「のどあき」とよばれる部分で、 線の流れが2手に分かれている(流れが切り替わっている) ところです。

拡大図2

スーツを着た人が腰に手を当てています。 ひとつの角度からは、ピンク色の部分のような形が、”セット”で見えています。

しかし実際には、 水色の部分の部分があるはずです。 体の線は続いているはずなのです。

最終更新日  09/06/20 

一括? 分割?

べつにローンの話ではありません(笑。でも、「いっぺんにぜんぶやる」より、「少しずつ分けてやる」ほうが楽だ、という話には違いないと思います・・・。 

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